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2014年08月11日

2014年沖縄の旅(西表島船浮集落 その2)No.6

今回の船浮集落の周辺場所です。
赤丸の場所の写真をアップします。
2014年沖縄の旅(西表島船浮集落 その2)No.6

今日は舟に乗ってこの船浮から更に西側にある東海大学海洋学部の研究施設に行くことにしました。
こんな辺鄙なところに何故あるのか以前からどんなところか気になっていました。
その前に外離島に用事があるので寄っていくとのこと。
ナントそこはテレビでも時々見かける裸のオジイさんが居る無人島です。
これが外離島です。
2014年沖縄の旅(西表島船浮集落 その2)No.6

砂浜近くに人影が見えます。


この方が無人島に住み着いている裸のオジイさんです。
話を聞いてみると58歳の時に人間関係にいろいろあり20年間ここで暮らしているそうです。
現在78歳ですがとても元気です。

海岸から20m奥に入ったところにテントを張りそこが居住区になっています。
奥にももう一つのテントと横に自分で作った小屋があります。
1ヶ月前にテレビ局の人がしばらく居て疲れたと言っていました。
お土産にジャックダニエルを3本もらったので、これを少しづつ飲むのが楽しみだそうです。
2014年沖縄の旅(西表島船浮集落 その2)No.6

この海岸もとても綺麗でした。
2014年沖縄の旅(西表島船浮集落 その2)No.6

オジイさんとお別れしていよいよ目的の東海大学海洋学部の研究施設に向かいます。
ここは昔、網取村があり、西表炭坑の採掘場がありましたが太平洋戦争が終結して採掘が中止された後は急速に衰退し、1971年にこの網取村が
廃村となりました。
廃村となった網取村の小学校跡地を1976年に東海大学が譲り受け東海大学海洋研究所を設置しました。
ここでは気象・海象・地震観測のための機器を設置し、自家発電と簡易水道により調査・研究・教育活動をおこなっています。
裏庭にソーラーパネルがありました。
常駐しているわけではありませんが週に2便ほど連絡船が行き来しているようです。
2014年沖縄の旅(西表島船浮集落 その2)No.6
2014年沖縄の旅(西表島船浮集落 その2)No.6
2014年沖縄の旅(西表島船浮集落 その2)No.6

この庭に「あんとぅり」と書かれた石碑があります。
そこにはこのように書かれていました。
「網取村跡の碑
 網取村は西表島の最南端に三百有余年の歩みを残した。
耕地や交通の不便と人頭税の重圧に耐えて村人は父祖の築
いた繁栄を守ってきた。しかし、政治の貧困による経済の
行きづまりと医療、教育の不備を始めとする孤島苦がつの
り、ついに昭和四十六年七月十四日に全員離村を余儀なく
された。ここに私たちは全体の祖先の霊を祀り、四散した
村人のよりどころとするためにこの碑を建てる。
 平成八年九月吉日  うるち会建立」
2014年沖縄の旅(西表島船浮集落 その2)No.6

また山田武男さんが書かれた「わが故郷アントゥリ」という書籍があります。
この巻頭にはこう書かれています。

「西表島の西南部にあった私たちの村(シマ)網取(あみとり、方言でアントゥリ)が余儀なく廃村となったのは昭和46年の夏のことでした。
戦後、一時は200人もの住人がいた網取村も、昭和32、3年頃から若者がどんどん町へ出て行き続けて村の人口が減り、昭和40年頃には学校の
生徒数も学校運営が危ぶまれるほど減ってしまいました。
昭和45年には戸数が7戸になり、入学児童もいないので廃校になりました。
それと時を同じくして36人の村人は移住を決め、昭和46年(1971年)7月14日をもって村建て以後少なくとも三百数十年を数える網取村の灯は消え
去りました。」

網取り集落でもいろいろな出来事があり、そんな話を聞いたり見たりすると考えさせられます。
2014年沖縄の旅(西表島船浮集落 その2)No.6

この周辺の海の色も透明度も、とてつもなく綺麗です。
2014年沖縄の旅(西表島船浮集落 その2)No.6

ここで5分間程度、海岸のゴミを拾いました。
海岸を少しでも綺麗にしたいという船頭さんの思いです。
この船頭さんについては後でまた説明しますね。
<続く>



Posted by 夏が好き at 14:30│Comments(4)
この記事へのコメント
夏が好きさん こんばんは

網取むら 小学校の頃

学校で教わった記憶があります

人頭税は与那国の久部良ばりが

記憶に強く残っています

裸のおっちゃんはこの前 バラエティーで

放送していました 岡村さんが・・・

疲れてた思います 最近にバラエティ・・・非常識!
Posted by namimanamima at 2014年08月11日 21:58
namimaさん
お早う御座います。
人頭税に関してはどの島に行っても聞きました。
無茶な取り立てのために人命が色々な形で奪われていく。
大昔も、戦前も戦後もそして今も沖縄の人々の苦しみが続いてると思います。
不安や心配のない平和な世界、時代にならないのでしょうかね。


裸のオジイさんの所には届いた荷物を持っていくと言うことで行きました。
撮影で1ヶ月くらい多くの人が側にいたそうで、かなり疲れたと言っていました。
色々話しましたが、この人の気持ちを考えたらおもしろ半分にテレビに取り上げない方が良いと思いました。
Posted by 夏が好き at 2014年08月12日 08:39
すごいおじいちゃんがいるんだなあ。
本にもなった西表のターザンという人が昔はいた。
もう亡くなられたけれど、その人にましてすごい人だなあ。
人生色々で、この浜で生活されているんだと思います。
そっとしておいてあげたいと同時に、遊びに行ってみたいと思う。

外離島 とほうもなく綺麗そう。
連絡船もなく、なかなかー行けないですよね。夏が好きさん ラッキーだ。
八重山の人頭税の話は本で読んで少し知っています。
ひどい搾取をしたもんです。

イダの浜 行ってみたい。もう数年したら道ができるかもしれない。八重山の新聞にそんな記事が載っていました。
道ができる前に、船に乗って訪れてみたいです。
Posted by おきなべおきなべ at 2014年08月12日 13:21
おきなべさん
西表のターザンについてはこの次にアップしますね。
これもラッキーなことがありました。
今回の旅は色々番外編が多くてとても良い旅でしたよ。

イダの浜までの道は出来ないで、このまま船で渡るのが良いと思う。
何でも車で簡単に移動するようになったら自然の良さや綺麗さが失われてしまう気がします。
Posted by 夏が好き at 2014年08月12日 14:04
 
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