2014年沖縄の旅(石垣島 その10)No.17

夏が好き

2014年08月30日 21:27

7月11日今日は野底岳に登ってみます。
ここは登山する方法が2つあります。
一つは西側から登りますがこれは一番下から登る方法でゆっくり登れば約1時間近くかかります。
もう一つの方法は東側に抜ける大きな道路があって、その途中まで車で行きそこから登れば15分くらいで簡単に登れます。
折角登るので一番下から登りました。
こんな入り口から登ります。


途中は道が分かりにくい場所や、赤土でかなり滑りやすい所があります。



途中には赤い布の目印やロープが張ってありました。
滑りやすい場所にはこのロープは便利ですね。
随分以前から張られていたようで木の成長に伴い食い込んでいます。



やっと頂上が見えてきました。
ゆっくり歩いたので約1時間かかりました。
途中きつかったけど、登り終えるととても気持ちが良い。


頂上のこの大きな岩の下に看板があります。
ここには野底岳に関する伝説がこのように書かれています。

伝説 ヌスクマーペー
昔、琉球王国時代、役人が国王の命として人々を一人残さず強制移住させる「道切りの法」という制度があった。
当時、黒島 宮里村のカニムイとマーペーは恋仲であったが、道切りの法により享保七年(1732年)に
建立された新村、野底村へマーペーは強制移住させられた。
毎日、カニムイの事を想い、泣きもだえていたマーペーは近くの高い山に登って、ふる里を見ようとしていたが
オモト山が立ちはだかり何も見えなかった。
幾日もなげき悲しんだマーペーは頂上で祈る姿で石となった。
その後、人々はマーペーをあわれみ、この山を野底マーペーと呼ぶようになった。
八重山歴史家 牧野清 山水会

とありました。


「沖縄の昔話」から物語的に書かれたモノがあったので長くなりますが載せますね。
時間のある方はゆっくり読んでみてください。
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「沖縄県立総合教育センター
沖縄の昔話【子ども】から

むかし、八重山(やえやま)の石垣島(いしがきじま)と西表島(いりおもてじま)の間にある黒島という小さな島に、
マーペーという美しいむすめと、カニムイというたくましい若者がいたって。

マーペーとカニムイは小さいころからの仲良し。
家も、中道と呼ばれる道をはさんだ向かいにあるものだから、ずっと、それこそ朝から晩までいっしょになって遊んだり
ケンカしたりして過ごしていたって。

村の人も、マーペーとカニムイの仲の良さを知っていて、あまりに似合いの二人だから、「いつになったらけっこんするのかなぁ」
と言っていたんだって。

そんなある日。
島に大勢の役人がやって来て、村中の人みんなに集まるよう命令して、こう言った。
「王様の命令として、これまでおさめていた米やさとうをもっと多く納めるように。
それには今の土地では足りないので、新しく米やキビを作ることのできる土地を開くことになった。
ついては、この島から石垣島へ人を移すことになった。
村の中道からこちらへ住んでいる者は、全員明日の朝、石垣島へ行くことを申しつける」
いっしゅんシーンとなった村人だけど、そのうちに、「大変なことだ。ぜったいに行かんぞ」と、
さけぶ声が多くなった。

「えーい、だまれ、だまらんか。もんくをいうやつは、ここで今すぐ切ってやるぞ」
刀を持ってみんなの前に立ちはだかる役人に、だれも声を出す者はいない。

そこへ出てきたのがカニムイ。
「お願いです。こちらには、私とけっこんすると約束したマーペーがいます。
そのむすめだけは連れて行かないで下さい。お願いです」
でも、役人は刀を持ったまま言うことを聞いてはくれない。

しかたなくあきらめマーペーとカニムイは、たがいに見つめあったまま、だまって別れるしかなかったって。
中道をへだてていただけで、はなればなれになったマーペーとカニムイだったわけ。
石垣島へ連れて行かれたマーペーたちは、野底(のそこ)という村で、うっそうと木がしげる森をそれこそ朝から晩まで働いた。

こうして、広い海とけわしい野底岳(のそこだけ)にはさまれた村にも、少しずつ作物が実るようになった。
だけど、ある夏のこと。
村をマラリアというおそろしい病気がおそってきた。

苦しむみんなのために、村では、お祭りをして、おそろしいマラリアをふりはらい、村を明るくしようとしたわけ。
マーペーもマラリアにかかってしまって、ねこんでしまった。
マラリアで苦しみながら、マーペーが思うのはカニムイのことばかり。

祭りの日、一人家を出たマーペーは、どうしてもカニムイの住む黒島が見たくて、苦しみながらも野底岳に登っていった。
だけど、やっとのおもいで、ちょう上にたどりついたマーペーが見たものは、石垣島で一番高いおもと岳だった。
どんなに目をこらしてみても、カニムイの住む黒島は見えない。
とうとうせいも根もつきはてたマーペーは、悲しみのあまり、そのまま石になってしまった。

今でも野底岳のちょう上には、石になったマーペーが、いとしいカニムイの住む黒島の方を見てすわっているわけ。
悲しい悲しい石垣島に伝わるお話さ。」
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伝説とはいえ、可愛そうな話ですね。
当時はこれと似たようなことが多々あったのだと思います。
役人の都合だけで今でも同じようなことが形を変えて起こっていますね。

この頂上から見る景色はとても綺麗でした。
綺麗だけに、マーぺーのガッカリした深い悲しみを思うとせつなくなってきますね。






この前方が黒島方面ですが於茂登岳(おもと岳)が目の前に立ちはだかっていて確かに見えません。


悲しみのあまりこのように石になってしまいました。


誰も居なかったので、ここでマーペーと一緒にセルフタイマーで一枚パチリ。


野底岳を下山し、県道79号線を南下します。
2Km位進むと吹通川があり、ここはヒルギ群落があります。
マングローブが生い茂っているところです。




ここには様々な生き物が居ます。
確認できたのはミナミトビハゼがぴょこぴょこ動き回っていました。


またあちこちにコメツブガニが作る砂団子がいっぱいありました。
コメツブガニは砂中の有機物やプランクトンが食べ物で砂を鋏脚でつまんで口に入れ、砂粒の中から餌を濾過摂食します。
残った砂は口の上部に丸く固め、鋏脚で切り取って足元に捨てるのでこんな団子畑になってしまいます。
しかし見事ですね。残念ながらコメツブガニを見つけられませんでした。



<続く>