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2014年08月24日

2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12

次はここを歩きます。
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12

気象台から南に下ると(16)「天川御嶽(アーマーオン)」に着きます。
「天川御嶽」についての登野城村の伝承では、天川原の霊石を信仰していた篤農家がいつも豊漁であったことから、豊作・豊漁の神として
信仰されるようになったそうです。
登野城村の村公事(豊年祭や雨乞いなどの祭祀)が執り行なわれてきた御嶽で、石垣島の中でも上国役人や定納船の航海安全を祈る
七嶽(美崎・宮鳥・長崎・天川・糸数・名蔵・崎枝)の一つとされています。

「天川御嶽」の拝殿は1874年(明治7年)に茅ぶきで建立されて以来、3度改築されましたが、最後に改築された1963年から45年以上が経過し
老朽化が進んだため、2010年6月に実に135年ぶりに建替えられました。
なお、旧拝殿の解体工事は重機を使わず、素手で解体されたそうです。
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12

こんな色鮮やかな説明版がありました。
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12

更に南に歩いて大通りに出たところに(17) 「船着御嶽(フナツキィオン)」があります。

登野城漁港のすぐ近くにある御嶽で、御嶽の向かいには「サザンゲートブリッジ」があります。
かつては、宮良湾(西側)の入り江が船着御嶽のあるフナスク(船着き場)という地名のところまで入り込んでいて、ここが海上交易の
拠点となっていたようです。

登野城集落にとっては非常に重要な場所であり、アガリグヤの糸満系漁民たちの精神的支えともなっている御嶽です。
ユッカヌヒー(旧5月4日)には爬龍船が祭られ、海の恵みに感謝するとともに豊漁と航海安全が祈願されます。
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12

ここからターミナル方向に向かう途中に(18)「真泊嶽」があります。
この御嶽に関しては情報が無くよく分かりませんでした。
場所は市役所通りにある大濱信泉記念館とこれから行く(19)「美崎御嶽」の中間の広場にありました。
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12

それでは(19)「美崎御嶽(ミシャギオン)」に行きます。
「美崎御嶽」は、オヤケアカハチの乱を制圧した王府軍が海路を無事で首里に帰還できるよう、真乙姥(マイツバ)が美崎山の聖地に籠もって
祈願し、その願いが叶えられたことから創建された、航海安全祈願の御嶽です。
代々、八重山の蔵元が管理するクギィオン(公儀御嶽)として尊崇を集めてきました。
ここにある石碑にはこのように書かれています。

 県指定記念物 史跡
 県指定有形文化財 建築物  美崎御嶽
 尚真王のころ、石垣市登野城の美崎山に創建された航海安全を祈願するための御嶽である。
神名を大美崎トウハ、御イベ名は浦掛ノ神ガナシという。
 御嶽の由来については、遠弥計赤蜂の乱(AD1500年)の時に首里王府派遣の兵船の那覇港への安着を祈願して、神女の真乙姥が
籠もったところといわれている。
 御嶽の周囲は石垣がめぐり、中央部には拝殿にあたる拱式(アーチ)の石門がある。
石門の構造は、屋根石を架し、棟中央に火炎宝珠を乗せている。
規模こそ小さいが首里王城下の園比屋武御嶽に類似するといわれている。
この拝殿を「イビの前」と称し、その奥には石や岩、大木等があり、そこをイビと称している。
 この御嶽は、王府より派遣された役人の離着任時、農耕儀礼などに高官や大阿母によって拝され、公儀であった。現在は字大川の村
拝所として住民の信仰地となっている。
昭和31年2月、県指定有形文化財(建造物)としても指定され、史跡と建造物の二重指定をうけている。
      指定年月日 昭和31年2月20日 建造物
               昭和31年2月22日 史跡
      平成6年3月 沖縄県教育委員会
               石垣市教育委員会

鳥居と拝殿
重要文化財史跡美崎御嶽と記された石柱が鳥居の左に斜めになって立っています。
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12

拝殿です。
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12

拝殿の奥にイビ石門があります。
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12

この敷地内には(20)「蔵元の火の神」があります。
「蔵元の火の神」は元々「西塘」が竹富島に蔵元政庁を創設した際に建立したと伝えられ、琉球王国の安定、八重山や蔵元政治の守護を
祈るものでした。
その後、石垣島に蔵元が移設されるのに併せて移されました。
その蔵元は、現在の八重山支庁・八重山博物館を含む一帯にありましたが、今では美崎御嶽の境内に移転されています。
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12

同じくこの敷地内には(21)「ユーヌ火の神」があります。
美崎御嶽の鳥居を入った左手(北側)にある御嶽ですが、由来についてはよく分かりません。
2014年沖縄の旅(石垣島 その5)No.12

<続く>



Posted by 夏が好き at 12:43│Comments(2)
この記事へのコメント
夏が好きさん こんばんは

見慣れた懐かしい風景です

天川御嶽 叔父の家が近くだったので

子供の頃 よく遊びました

そして 家内の実家が目と鼻の先の距離です

登野城確か三町内 海人の部落です
Posted by namimanamima at 2014年08月29日 20:13
namimaさん
namimaさんはこの天川御嶽でよく遊んだんですか。
広くて子供には良いかもしれませんね。

それにしてもその頃に奥様になられる方がこのすぐ側に居たとは思いもしなかったでしょうね。

それとも、幼なじみ的な感じなんでしょうか。
不思議な縁です。
これも天川御嶽さまのおかげかもしれませんね。
Posted by 夏が好き at 2014年08月29日 21:12
 
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