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2014年08月20日

2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11

次のコースです。
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11

宮良殿内で少し休んだのでまた進みましょ。
まずは(10)「フクギ並木」です。
それほど大きくはありませんがこの夏場の暑い時期には涼しい感じです。
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11

ここから北方向に(11)「 築ましや(チィンマーセー)」という
形の面白そうな大きなアコウの木があるので行ってみます。
途中に幼稚園がありその庭(駐車場)に井戸がありました。
ちょっと不思議な感じです。
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11

これが(11)「 築ましや(チィンマーセー)」です。
Y字型に道が分かれた真ん中に立っていますね。
近くで見ると何とも力強い雰囲気でした。
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11

次は(12)「アコーバルカー」という井戸に行きます。
ここより南に少し行った所です。
その途中にもまた井戸がありました。
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11

歩いているとあちこちに井戸が見られます。
この「アコーバルカー」は昔、ウキマシヤー(上地家)で飼っていた犬が発見したと伝えられています。この井戸は干ばつになっても水が涸れること
なく、飲料水としても使われていました。
このすぐ横に住んでる方に聞いたら、飲み水ではないが今でもこの水をポンプでくみ上げて色々なことに使用してるとのことです。
そして、こんな質問をしました。
「石垣島には道路のあちこちに井戸が沢山有り、このように道の真ん中にもそのままあるが、使ってもなさそうな井戸までそのままになっていて、
邪魔ではないか」と聞いたら、「井戸は神が宿っており井戸をとても大切にしている。だから決して埋めたり崩したりはしない。
邪魔なら自分が避ければいい」と言われました。確かにその通りですね。
このような昔からの言い伝えを今でも大切に守ってる沖縄の方々は本当に素晴らしいなと思います。
一般的には効率だとか邪魔なモノは排除とか、利益にならないことはしないとか物欲の時代になってしまいました。
でも沖縄に行くとどの島でもオジイ・オバアと話をするだけでとても良い気持ちになります。
昔からの風習を大切に守っているそんな生活を見てるととても心が和みます。
これが本当の平和なんでしょう。でもそれを忘れてる人が多すぎますね。
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11

ここから少し南に(13)「津波石」があります。
なかなか見つからず、のども渇いたので側にあった「まつむとぅ家」というカフェがあったので入ってみると右側に探していた「津波石」がありました。
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11

ここにはこのように書かれています。

津波石(つなみいし)
1771年八重山地震明和の大津波によって海中にあった大石が陸に打ち上げられました。そのうち現在、四ヶ字で残っているのが「まつむとぅ家」の
津波石です。
こんな大きな岩が流されてくる津波を思うと東北の津波を思い出してしまいます。
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11

話は飛びますが、この四ヶ字ってなんだろうと思って調べたら
四ヶ字と呼ばれる4地区(登野城・大川・石垣・新川)の事なんですね。

石垣島の四ヶ字と呼ばれるこの4地区(登野城・大川・石垣・新川)では旧暦6月に農耕儀礼が2日間行われるそうです。
初日は各字にある御嶽にその年の収穫物を供える感謝儀礼で御嶽(オン)ですることからオンプール(オンプーリィ)というそうです。
2日目は新川にある真乙姥(まいつば)御嶽で行われる翌年の豊年を願う予祝儀礼で、村をあげて行うことからムラプール(ムラプーリィ)と
いわれています。
知らないことがまた一つ分かりました。

ここから更に南へ進むと(14) 「岩崎卓爾」の胸像があります。
しかし場所が分からず気象台のアパート団地の中をうろうろ歩いていたらここの住民が居ましたので聞いてみると、隣にある地方気象台の敷地内に
あると聞き、本当はここの職員しか通れない裏道を特別に通してくれました。
ぐる~と廻ると大変でしたが最短で行けたので感謝です。有り難うございました。
石垣島地方気象台構内には石垣島測候所の2代目所長岩崎卓爾の胸像が建っています。
宮城県生まれの岩崎さんは、29歳から68歳で没するまでの40年間八重山に住み、八重山の自然と人情を愛し、測候所の仕事だけでなく、
気象業務を広く住民に紹介しました。
また、石垣島の人々から「テンブンヤー」(天文屋)の「ウシュマイ」(御主前:じいさん)と親しまれたようです。
この胸像は昭和7年(1932年)の退官直後に有志がその功績を讃えるために製作したものです。
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11

この石垣島地方気象台の壁には太平洋戦争で攻撃を受け、塀にはた弾痕跡が残っています。              
(15) 太平洋戦争弾痕跡
気象台の壁を修復する際に、この一部だけを残して新しい塀に組み込まれています。
もう一部は8月16日にアップした「2014年沖縄の旅(石垣島 その1)No.8」でお見せした新栄公園におかれたものです。
今年の5月15日に八重山文化研究会がこの弾痕跡を「平和の壁」として残し、説明板を建てることについて意見交換されたようです。
二度と戦争を起こさないためにも必ず残して欲しいですね。
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11
2014年沖縄の旅(石垣島 その4)No.11

<続く>



Posted by 夏が好き at 23:43│Comments(2)
この記事へのコメント
テンブンヤーのウシュマイ まったく知りませんでしたよ。
北海道に渡り、その後志願して石垣測候所に勤務。
なんか親しみを感じます。色んなことに興味を持ち、最後は八重山で天寿を全うした生き方。とても魅力的な人に感じます。

アコーバルカー 道の真ん中にある井戸。
邪魔じゃない。人が避ければいいという話。
とてもいいですね。

弾痕後 説明板があったほうがいいと思う。
戦争の記憶は残すべきだと思います。

石垣島の街の散策。
知らないことばかりだったので、とても面白かった。
ありがとうございます。
Posted by おきなべおきなべ at 2014年08月22日 17:57
おきなべさん
石垣島も今まで仕事で数回行きましたが、こんな市内の近くに色々な場所があるのは全く知りませんでした。
観光案内書ではあまり書かれていないところなので探すのも時間がかかりましたが全行程、歩いたので何とか探すことが出来ました。
かなり暑かったけど汗ふきふき、ポカリを飲みながら気持ちよく歩きました。
車に乗ってると、まず行かなかったでしょうね。

ところで災害による被害者がまた出てきましたね。
まさ土だから作業も大変です。
お母さんが子供を必死で探してる様子を見ると胸が痛くなります。
国を挙げて、早急に被害者の対応と、新たな被害が出ないよう対策をして欲しいです。
Posted by 夏が好き at 2014年08月22日 21:35
 
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