てぃーだブログ › 新しい記憶 › 2013年10月

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Posted by TI-DA at

2013年10月30日

沖縄の旅(西表島その3)No40

由布島をあとにし、大原港へ向かう途中でとても綺麗な景色がありました。
雲が水面に反射して綺麗です。

由布島と大原港の中間地点に古見のサキシマスオウノキ群落があります。
しかし、今ではその場所への直接ルートは進入禁止になっており、ヒルギ群落の中を通ってその近辺まで行く遊歩道が2010年春に作られた
ようです。


2007年12月21日ではサキシマスオウノキ群落まで、直接行けましたが今は行くことが出来なくなっていました。
サキシマスオウノキは天然記念物ですので、きっと無造作に触ったり傷つけたりすることがあって直接の侵入を禁止したんでしょうね。
訪れた全ての人が悪いわけではないけど数人の不道徳な人のせいで新たなルールが作られたり、禁止になったりするんですね。
直ぐ側で見れず残念です。
サキシマスオウノキは板状の根ですが丈夫で平なので昔のサバニの舵としても用いられたようです。
今回の写真がこれです。
正面から撮せないので綺麗に撮れません。

以前(2007年)、撮影した写真がこちらです。



この看板の側に説明碑文がありこう書かれています。

天然記念物 古見のサキシマスオウノキ群落
                             昭和53年3月22日指定

サキシマスオウノキはこの三離御嶽の拝殿の、後方にあり、ヒルギ林と斜面のビロウ群落の間に発達しています。
サキシマスオウノキはアオギリ科に属し、板根がよく発達する常緑の高木で熱帯地域から甘み大島まで分布していますが、この三離御嶽の
群落が我国ではその規模において一番大きい。
本群落のサキシマスオウノキは樹高13m、棟高直径75~85cmの木が主でそのすべてに板根が見られます。板根は文字通り板状でそれが
分枝、湾曲し、大きなものでは高さ3m長さ6mに達するものもあります。
本群落は熱帯を思わせる景観であり植物生態、形態学的に貴重なものであります。
なお、この地域で許可を得ることなく現状を変更し、または、保存に影響を及ぼす行為をすることは法律で禁じられています。
                            文部省
                            沖縄県


サキシマスオウノキ群落をあとにし大原港までやってきました。
本日宿泊する宿が、この港の直ぐ側にある「あずま旅館」がこの建物です。

時間的には5時少し前ですが、まだまだ明るいのでここから5km程度先の西表島の最南にある南風見田の浜まで行ってみました。
周囲はサトウキビ畑が多くあります。

案内の看板が汚れて倒れかかっていました。
この浜は有名だし、もう少し手入れをして欲しかった。

夕方でも海はやはり綺麗ですね。


明朝、西表島の大原港より最南端の波照間島に移動します。
西表島ではもう一度船浮集落に行って宿泊してみたい思いです。

それから今回、何とかレンタカーを準備して頂いた西表西部レンタカーの担当中山さんには感謝しています。御陰で良い旅が出来ました。
有り難うございました。
またお願いしますね。


<<続く>>
  


Posted by 夏が好き at 21:17Comments(10)

2013年10月29日

沖縄の旅(西表島その2)No39の追加

船浮集落の綺麗なイダ(西田)の浜を上空から見た写真を載せますね。
順次拡大してます。
赤い矢印の先端がイダ(西田)の浜です。綺麗な場所でしょ。
反対側(左上側)の赤い矢印の先端が船浮集落です。



  


Posted by 夏が好き at 15:00Comments(8)

2013年10月28日

沖縄の旅(西表島その2)No39

集落から10分程度歩いてくるとイダ(西田)の浜に着きました。
波がまったく無く、とても静かです。
沖縄に来てこんな静かな海は初めてです。
綺麗でしばらく座り込んでいました。





もう少し居たかったけど帰りの乗船時間が近づいたので船浮港に戻り船に乗りました。
今度また来たい場所です。今度はここで宿泊したい。

海の色が何とも言えない綺麗な緑色をしてます。

港に戻る前に携帯に電話がかかってきました。
実はレンタカーの都合が付いたという連絡です。
白浜港に戻るとレンタカーで迎えに来てくれていました。
いろいろお話を聞いてみると結構無理して準備してくれたようです。
とても感謝です。
早速、宿に荷物を取りに行き上原港から大原港方面に向けて出発しました。
途中の景色や面白いものが沢山ありましたので紹介しますね。
まずは東京では決してみられない面白い看板を見つけました。
さすがイリオモテヤマネコの島なんですね。
ネコに関する注意看板です。



さらに道路にも「ネコ注意」の案内がありました。
ここでしか見られない珍しい注意案内ですね。
車を止めてしっかり撮しました。

途中の綺麗な景色です。


空の雲も良い感じです。

しばらく進むと有名な由布島に行く水牛車があります。
以前来たときはこの水牛車に乗らなかったので今回は乗って由布島まで行ってみることにしました。
由布島入り口で、牛のモニュメントがあります。愛嬌のある可愛い雰囲気でした。

水牛車の中では女性の案内の方が三線を引きながら唄を歌ってくれました。
のんびりと歩く水牛と三線の音色がとても良い感じです。



しかし、下が砂地でこんなに多くの人を乗せて毎日往復するのは辛いだろうなと、なんだか可愛そうになりました。
乗っていて申し訳ない気持ちだった。

この由布島の水牛は台湾から連れてこられた雄「大五郎」と雌「花子」のひとつがいの水牛が原点で、繁殖し現代まで続いているとのことです。
その由布島水牛家系図がありました。

この由布島は植物園になっていますがその中に、大五郎・花子を始祖とする水牛一家に感謝する水牛之碑が建っていました。

水牛の碑

由布島を繁栄せし
大五郎 花子を
始祖とする
水牛一家に対し
感謝の碑を建立す
二〇〇一年十月

と書かれています。

由布島は小さな島ですが行かれたことがない方もいらっしゃると思うので内部の様子を簡単にお見せしますね。
まず由布島は周囲2.15Kmで面積12ヘクタール、標高はなんと1.5mです。
戸籍数と人口ですが年度別に
昭和19年末 戸数0  、人口0
昭和25年末 戸数36 、人口180
昭和55年末 戸数4  、人口9
平成23年末 戸数8  、人口11
だそうです。
内部の各部分の写真です。






とっくりヤシに花が咲いていました。

島の中央近辺に由布島小中学校の跡地の看板がありました。
由布島小中学校の跡地
昭和23年島分教場が開校。当時の校舎は
島住民による木造かや葺きのものでした。
幾度も台風による被害に会い建て直されました。
昭和26年モルタル瓦葺きの校舎完成。
昭和34年中学校の校舎完成
昭和44年台風エルシーによる高潮で
島全体が水没、島ぐるみの移転を決める。
昭和45年島民の移転にともない閉校。
現在では当時の校門と校舎の写真
だけが残されています。

島の反対側の海岸です。
側にマンタとジンベイザメがいました。





<<続く>>  


Posted by 夏が好き at 16:22Comments(6)

2013年10月27日

今日は暖かい(番外編)

久しぶりに快晴の天気。
暖かい日差しが降り注いで居たので家の近くの多摩川中流沿いを散歩した。
暖かいと言っても長袖にユニクロのダウン姿だ。
一週間前にはTシャツに短パンで、海で泳いでたのに。。。。

ここから山までは近いけれど東京湾まで直線で53Kmもある。
だれか沖縄の海に近い家と交換してもらいたいな~
太陽に反射してススキが綺麗でした。

書き忘れていた。
今日はいつもより水が多くしかも色が沖縄のエメラルドグリーンもどきで、綺麗でした。
沖縄の綺麗な色の海が好きだから多摩川も僕のために協力してくれたのかな?  


Posted by 夏が好き at 15:57Comments(2)

2013年10月26日

凧でなく蛸の実

沖縄に行ったとき、海岸でタコの実がたくさん落ちていたので3粒拾った。
最初はアダンの実と思ってたけどこれはタコの実です。
とてもよく似てますよね。

中がどんなになってるのか割ってみました。
中心に種のようなものがある。

アダンの実はヤシガニが食べるって聞いたので、タコの実も同じようだから食べられるだろうと思い、実の周囲を食べてみましたが
繊維質でとても食べられない。
本当にヤシガニはこれを食べるのだろうか?
それともこの外側でなく、パイナップルのように中の実の部分を食べるんだろうか?
今度チャンスあったら挑戦してみよう。

タコの実って5~6角形の幾何学形をしてるんですね。
だから円形でも上手く面を構成できてるんだと関心です。
自然は凄い。こんな自然を皆で大切にしましょ。

  


Posted by 夏が好き at 12:00Comments(0)

2013年10月24日

沖縄の旅(西表島その1)No38

長い間ブログアップをお休みしていましたが今日から復帰です。
いま、沖縄地方では台風27号の影響をかなり激しく受けている状況ですが、被害が無いと良いですね。
その後、こちらにも向かってくる予定になっていますが今のところ風は吹いていません。
いずれにしてもどこも被害が無いように願っています。

さていよいよ西表島(7月5日)にやってみました。

鳩間島を出発したのが夕刻だったので西表上原港に16時25分に到着です。
宿(民宿パイン館)に荷物を置いて直ぐに近くの海岸に行きました。
これが今回宿泊した民宿の全景です。
右側に見えるパインの形をした部屋が食堂です。

夕刻で日も沈みかけていたので薄暗くなっていましたが、それでも海の色は綺麗です。

夕日を期待してしばらく待っていましたがやはり雲が多く、沈む直前に雲の隙間からわずかに夕日を見ることが出来ました。

翌朝、宿の方と「さがりばな」の話をしてたら民宿の裏に咲いてるよと言われ、朝食を済ませて裏手に回った。
この木がさがり花なんですね。初めて見ました。


ここから歩いて20分くらいの処に「星砂の浜」という海岸があります。
本当はここの宿に泊まりたかったのですが満室でした。
途中、とっくりヤシの下に真っ赤なハイビスカスが咲いていました。
赤色はほんのわずかでもインパクトが大きいですね。
空がもっと青かったら青赤緑でより綺麗だったろうな~

ここも同じように引き潮で少し物足りなかった。
でも綺麗な海岸です。






ここの星砂の浜バス停からバスに乗って今回の第一の目的である船浮集落に行くために、まずはバス終点の白浜に向かいます。
実は、最近石垣島新空港が出来て以来、東京や関西から直行便が来るようになり、そのために観光客が急激に増えて宿泊先やレンタカーが不足し、
追いつかない状況のようです。
このため今回はレンタカーを借りることが出来ずバスでの移動になりました。
バス移動だけでは時間に無駄が出るので、念のためキャンセル等が出た場合に連絡をもらうことにしました。
この白浜行きのバスに乗りました。
このバスの運転手の方で、着ているシャツが沖縄らしくてとても良い雰囲気です。

白浜港ターミナルに到着しました。
ここから船に乗って船浮集落に向かいます。
船浮集落に行くには陸地からの道はなく船が交通手段なんです。
陸続きなのに陸の孤島なんですね。


この周辺の海も非常に綺麗でした。

船浮集落へはこの船で行きます。

これが乗船往復切符です。

白波を立てながら走ること15分程度。
集落の近くまで来ると海の色が緑色になってきました。


これが船浮港です。


ここはとても小さな集落で集落案内図を見て分かるように港周辺にしか家がありません。
この集落は小さい割には人口も約50名程度で、先に立ち寄った鳩間島の人口41人よりも多いんですね。
この集落を東から西方向に500mほど行ったところにイダ(西田)の浜という綺麗な海岸があります。
その方向に向かうところに小さな看板がありました。
看板の内容は

東郷平八郎(とうごうへいはちろう)上陸の地
~大将ととラッキョウの秘話~
明治三八年五月、ロシアのバルチック艦隊の撃沈の重責を負った東郷大将は駆逐艦で台湾、宮古、八重山に立ち寄り船浮港では上陸され学校を
訪問。
職員、村人、隊員を励まされ、帰りに立ち寄って民家(次呂久家)でお茶とラッキョウの接待を受けられ、同年八月に大任を果たされた大将は
次呂久のばあちゃんにラッキョウのお礼のはがきを寄せられた。
このハガキによって学校長も東郷大将であったことを知ったと、手記でのべている。
西表館・史跡保存会

と書かれています。
こんな処まで東郷平八郎が来たんですね。
驚きです。


海岸まではこんな道を進みます。



こんなに天気が良かったのに歩いてる途中で急に雨が勢いよく降ってきました。
スコールです。
木下で雨宿りしてたら5分もしないうちに雨は上がってしましました。

少し進むと水瓶のような場所があり看板にはこのように書かれていました。

上の川(ウイヌカー)
上の川は古くから船浮村の水瓶として人々の生命を守り農業(稲作)を育んできた。
炭坑時代(明治)には上の川の水は良質で療養に効果があるといって訪れる人が多かった。
丸い水留めは永い間、洗濯のすすぎ場として使用されてきた。

ぬ川(カー)ぬ水(ミジ)や
しじ水どぅやりば
御万人(ウマンチュ)ぬまぎり
溶(ア)みてぃ しでぃら

(訳)上の川の水は湧き水でおいしいよ 皆さんそろって水あびをし若かえろうよ
管理 船浮公民館

島の大切な水瓶だったんですね。


次はイダ(西田)の浜です。

<<続く>>
  


Posted by 夏が好き at 09:30Comments(10)

2013年10月10日

沖縄の旅(鳩間島その3)No37

いとま浜港に戻って来ました。
この裏手の駐車場の処に石碑があります。

石碑にはこのように書かれています。

戦死者・マラリヤ死亡者
   慰霊之碑

碑文
太平洋戦争時 鳩間島にも日夜敵機が飛来して無数の爆弾の投下を受けて尊い人命を失い、家屋その他も多大なる損害を蒙った。
当時、西表島防衛司令官下永部隊長の軍命に依り、島民は昭和二十年三月対岸の西表島に余儀なく強制 的に疎開させられた。
島民は疎開先の山野で七ケ月間現地生活を強いられた。
その間敵の猛烈なる機銃掃射のため死亡する者、悪性マラリヤで罹患して死亡する者、現地を引揚げる者や、食糧の欠乏と栄養失調等
更にマラリヤが再発して高熱のため死亡する等後を絶えなかった。
その死亡者の数は遂に九十余名となり、戦死者十一名を加えると一〇〇名をかぞえるに至った。
ここにこの霊を慰め、恒久的平和を願い碑を建立する。
平成八年六月
建立者 田代 浩

周囲3.9Kmのこんな小さな島でも戦争による悲惨な出来事があったんですね。

これから西表島に向かいますが時間が少しあるのでこの港周辺をぶらぶらとします。
とにかく港から見える緑がかった青(緑青)がとても綺麗です。
この色は僕が一番好きな色で、カンカン照りの中暑さを感じながら、しばらく見とれていました。
見てるだけでワクワクドキドキします。この色に恋してるかも。
このドキドキ、歳だからって心臓発作ではありませんよ。
皆さんもこの景色を見てドキドキしてください。
鳩間港とその横の前ノ浜です。






鳩間小中学校です。
当初、小学校と中学校は別々に建てられましたがある時期、中学生が10年間在籍無し状態になり小学校だけになりましたがその後、
昭和59年に小中併置校として一緒になりました。
今年2013年度は小学生5名、中学生6名、計11名だそうです。
それにしても広い運動場ですね。

この目の前がなんとこんな綺麗な海なんですよ。
良き環境で元気に成長してくれそうです。


鳩間小中学校グランドの西側に前泊御嶽(マイドゥマリウガン)があります。
御嶽は瓦葺き、漆喰塗りで、鳥居は海側にあります。


港のそばのメインストリート沿いに髭川(ヒナイ)御嶽があります。
説明文では、近世初頭の鳩間村を管轄していた西表島の髭川村の御嶽の神を勧請して建てられたそうです。

御嶽には窓があり、その窓は西表島のヒナイサーラを向いていて、そこの神に祈りを捧げるのだそうです。
そういえば前泊御嶽にも窓がありました。

そろそろ出航時間になって来ましたので港に行きます。
綺麗な海を見てると時間があっという間に経ってしまいますね。

右側にある大好きな色をした緑青色のケースとリュックサックが旅行の荷物です。
リュックサックはカメラ機材がはいってます。
両方で30Kg位です。
飛行機に乗るときは重量オーバーで追加料金になってしまいます。
でも太った人より体重は軽いのに料金は安くならない。
おかしいな~


鳩間島には日帰りで行きましたが、是非ここも宿泊してゆっくり過ごしたいと思いました。
小さな島なので歩いてのんびり廻ると良いところです。
綺麗な海に驚かされました。

次は西表島ですがブログアップはしばらくお休みします。
申し訳ありません。次のアップまでお待ちください。

<<続く>>  


Posted by 夏が好き at 10:10Comments(8)

2013年10月07日

コスモス(番外編)

沖縄は台風で大変な状態なのに、東京は良い天気になりました。
被害もなく早く通過すると良いですね。

立川の昭和記念公園にコスモスが咲き始め、本日は特別入場無料ということで行ってみました。
今年は暑い日が続いたせいか、咲き方はまだ少しでしたが綺麗でした。
全体の雰囲気はこんな感じです。



それぞれの花をアップして順番に並べてみますね。




銀杏の木が沢山ありましたので上を見上げるとギンナンが鈴なりです。
地面にもかなり落ちていたので少し拾って持ち帰りました。

可愛い女の子達がいたので写真を撮らせてもらいました。


これはフィギュアをたくさん並べて写真を撮ってる方々が数名居ましたので、話を聞いたら、今日は天気も良かったので、この公園に来て
写真を撮ってるそうです。
非常に良くできていました。
いろいろな趣味がありますね。
  


Posted by 夏が好き at 00:26Comments(9)

2013年10月06日

沖縄の旅(鳩間島その2)No36

立原浜にやってきました。
ここも遠浅で綺麗ですね。





この立原浜のそばに大小の岩が集められた広い場所があります。
ここは武士家(ぶしぬやー)跡のようです。
武士が住んでいた屋敷跡ということですが、石積みは復元されたものだそうです。
しかしこんな海の側だと、台風が来たら大変だったろうなと思います。



その近く、道を挟んだ反対側で少し海よりの場所には、岩を積み上げた監視台のような所がありました。
ここは「火番守(ひばんむい)」と呼ばれており、この武士家は火番守の役目を担うのろし台だったといわれています。

次は島仲浜(しまなかはま)です。
入り口に着きました。

ここも同じように白砂のビーチで岩場に囲まれています。
海はもちろん周囲の草や岩場が綺麗です。
ここも引き潮時間帯だったのでかなり干上がっていました。
満潮時の様子が見たい。






この近くに今まであまり見たことのない雰囲気の大きなガジュマルがあります。
枝から伸びる根は写真のように縦横方向に広がって千手のように見えるので「千手ガジュマル」と名付けられました。

千手ガジュマルの反対側には「五兄弟カジュマル」が見られました。
5本の木に見えるのでこのような名前が付いてるようですが、5本がよく分からなかった。

少し進むと外若浜(フカバカハマ)に着きました。
一見、どの浜も同じように見えますが微妙に違ってます。




さらに進むと船原浜(フナバルハマ)です。
その入り口手前に面白い形をしたアダンノ木がありました。
枯れ木の周りに龍が巻き付いてるような感じです。
根がまるでガジュマルみたい。

入り口は両側に草が生い茂っています。

ここは、こじんまりした砂浜です。


これで鳩間島を一回りしたのでこの島で一番高いところ標高34mに立っている鳩間島灯台に行ってみましょう。
細道の入り口に「鳩間中森」の石柱があります。
鳩間島の森の真ん中にあるのでこの名前が付いたそうです。
この細道を登ると鳩間燈台がたたずんでいます。


この灯台は戦後、物資等を運ぶ船の事故が絶えなくて、海難事故の解消のために設置されたようです。

鳩間灯台のすぐ横には西表島を望める物見台が復元されています。
黒島のフズマリやこれから訪問する波照間のコート盛などと同じように外国船などの監視のために造られたそうです。

ここから鳩間島港と西表島が見えます。
色が綺麗ですね。



<<続く>>  


Posted by 夏が好き at 00:12Comments(4)

2013年10月04日

思い出の場所(番外編)

ここのところ寒すぎて冬眠状態です。
でもこのままではまずいので出かけることにしました。
目的地は新宿。

カメラのCCDにゴミが付着していて画像にゴミが写るので、新宿のニコンまで行ってきました。
今日の気温は急激に低下し18.5℃で、身体がなれてなく完全な冬支度で出かけました。
電車のなかも寒くて身体が完璧に冬眠体制に入り新宿まで爆睡です。

ゴミ取りに時間がかかるので少しぶらついてみました。
新宿南口です。

ここは新宿高島屋TIMES SQUAREビルです。
大きなビルでこの中にはユニクロやユサワヤ、それにTOKYU HANDSが入っています。

この近辺からはニューヨークにあるエンパイアステートビルのようなNTTドコモ代々木ビルが目の前に立っています。

新宿のSTARBUCKS COFFEE店です。
ここでおきなべさんともよく待ち合わせをしました。
15年経っても殆ど変わってません。
なつかしいな~


  


Posted by 夏が好き at 20:54Comments(10)

2013年10月01日

沖縄の旅(鳩間島その1)No35

小浜島を8時30分に出発し、石垣島に9時到着です。
夏休みの時期なので石垣島では子供連れの家族が大勢居ました。
石垣島を中心にこの周辺の離島に渡る人たちでいっぱいです。

ここから乗り換えて9時30分の船に乗って鳩間島に向かい10時40分に到着しました。
この鳩間島は周囲約3.9Kmの小さな島です。
人口も41人程度でその内、2/3が男性1/3が女性だそうです。

早速レンタサイクルをかりて出発です。
集落を出発すると直ぐに塀の上に一輪の赤い花が咲いている建物がありました。
ここは素泊まり民宿で「くしけぇや」と書いてありました。
塀の上の赤い花がとても印象的です。
これハイビスカスですよね。

分かりにくいのでこの写真から切り抜いて拡大してみました。

港の直ぐそばから綺麗な海岸が広がっていました。
海岸に出てみましょう。

鳩間港が直ぐそばに見えます。
綺麗な海岸ですよね。



でもよく見ると浮き球がたくさん漂着してました。

港の防波堤です。
綺麗な海だとこれも絵になりますね。


防波堤の先端から撮した海の色は何とも言えない綺麗さです。
しばらくこの美しさに見とれていました。

次の目標地点の屋良浜(ヤラハマ)に向かっている途中の海岸はどこも綺麗で前になかなか進めません。
緑も花も綺麗です。




屋良浜に来ました。
先ほどと同じような感じですが島で最も広い白い砂浜です。
ここは結構遠浅になってるようで水の色が綺麗です。



陸地側にはガジュマルの木からひげが長く伸びており面白い雰囲気でした。

次の目標地点は立原浜(タチバルハマ)ですが途中に夫婦石があるようなのでちょっと寄って見ましょう。
そこまではこんな道を進みます。

夫婦石にやってきました。
昔、この辺りで畑を耕し暮らしていた夫婦がたいへん仲が良かったことから名付けられたようです。
二つの石はガジュマルの木に覆われていて石よりガジュマルの方が目立っていた。
この石は「夫婦円満の石」いわれています。



<<続く>>  


Posted by 夏が好き at 23:32Comments(2)