てぃーだブログ › 新しい記憶 › 2013年12月

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Posted by TI-DA at

2013年12月31日

お世話になりました。ありがとうございます。

いよいよ2013年も今日で終わりです。
今年も世界ではいろいろな事が多々ありました。
僕にとっては前半は正月明けから病院通いと、2度の手術などを経て6月後半からは昨年実行できなかった沖縄に行きました。
沖縄でのいろいろな出来事、人との出会い、充実した旅行でした。
あっという間の1年でしたが無事年を越すことが出来ます。
残念なのは年末ぎりぎりでトップの判断が間違ってると言うことです。

沖縄ではなかなか見られない?雪の写真を年越しとして掲載しますね。
この写真は今から10年前の2003年12月29日に岐阜県の白川郷に行って写したものです。
白黒写真のように見えますがカラー写真なんですよ。
それほど白と黒しかない世界です。
合掌造りで有名なこの白川郷は1995年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。谷間のひっそりとした集落です。

今年は多くの方々にお世話になりました。
2014年も宜しくお願いいたします


良き年をお迎えください

  


Posted by 夏が好き at 07:07Comments(10)

2013年12月28日

平和な時間

辺野古問題で気分が落ち込んでたときに、嬉しいプレゼントが届いた。

友人の娘さんと、ご家族の皆さんからの贈り物。
娘さんはまだ小学生なのにこんな素敵な手編みのマフラーを作ってくれた。
手編みは初めてのことなので1ヶ月もかかったって。
大変だったね、ありがとう。 


とても柔らかくて暖かいマフラーです。うれしいな~
これが世界に一つしかない手編みのマフラーです。
大切に使うね。


感謝を込めてマフラーでお礼です








それとご家族で僕の大好きなシーサーの絵を入れた島ぞうりを作ってくれました。
これも大変だったでしょうね。
皆さんで彫ってくれたそうで、これも世界で一つしかない島ぞうりです。
良い思い出が出来ました。
とても嬉しいです、みんなありがとうね。

こんな平和な時間がすべての世界で永久に続いてほしいです。  


Posted by 夏が好き at 22:49Comments(12)

2013年12月27日

情けない

信じてたのに情けない  


Posted by 夏が好き at 23:25Comments(0)

2013年12月26日

沖縄の旅(再び那覇にその4)No51

昨日は12月25日クリスマスでした。
辺野古問題がこれからどうなるのかとても大事なときです。

この辺野古に今年7月14日、行きました。
この綺麗な海を、景色を見てください。
この海には人魚のジュゴンもいます。
こんな景色がもう、見られなくなるんでしょうか。
この景色をなくしたら地球が怒って大変なことになってしまうよ。






こんな綺麗な海岸にフェンスがある。
こっちの世界と向こうの世界は違うの?
気分が悪い。
ここはどこなんだ!



この辺野古の少し先に大浦湾がありますが、そこに「わんさか大浦パーク」という道の駅があります。
こんな良い環境でとれた野菜や果物がたくさん売られていました。
もしここに基地が出来たらこんな美味しい野菜も食べられなくなるだろうな。



<<続く>>
  


Posted by 夏が好き at 05:55Comments(8)

2013年12月25日

メリークリスマス

Merry Christmas
今日はクリスマス。
今日は世界中みんなでお祝いするのに、なぜ喧嘩や戦争するのだろうか。
どうすれば不安のない平和な世界になるのだろう。

すてきなクリスマスカードありがとう!
サンタさんが大勢でお仕事してます!
世界が平和でありますように!

  


Posted by 夏が好き at 20:32Comments(2)

2013年12月20日

再生膜(番外編)

人間の生きようとする力は凄いものを感じます。
昔、まだ若かった頃、あることが原因で鼓膜に小さな穴が開いてしまった。
それから45年間そのままにして置いたら、小さな穴は少しずつ大きくなって全体の1/4位まで大きくなり、聞こえも殆ど聞こえない状態に
なってた。

穴が開いてるから泳ぐときは、耳の中にチューインガムを詰めて、水が入らないようにしてたけど、潜ってサザエやアワビを捕ったりすると、
どうしても少しずつ水が穴から内部に入りこんでいました。
そのため内部で炎症を起こして、キャンプから帰ると耳ダレが出て、寝てると枕が膿で汚れてしまうことがよくあった。
小さな穴が、これを繰り返すうちに少しずつ大きくなってこんな大穴になってしまいました。

今はゆっくりする時間もとれたので今年の3月に鼓膜の再生をすることにした。
そのときの手術前と手術後の写真です。


手術方法は耳の後ろを少し切り開いて同じ細胞を取り出し鼓膜に移植する方法ですが3ヶ月くらいで周囲の鼓膜とうまく絡み合って再生され
ました。
自分の細胞なので不適合もなく綺麗に膜が再生されました。
人間だけでなく生き物は常に自分を守ろうとするDNAがあり生きようと身を守る努力をしてるんですね。

その結果、今年夏に2度沖縄の海に入ってみましたが全く問題なかった。
小さな出来事ですが、僕には45年前の、海に入るときに気にしなくて良いその事が嬉しくてたまらなかった。
生き物の不思議さを感じます。
  


Posted by 夏が好き at 23:23Comments(18)

2013年12月19日

沖縄の旅(再び那覇にその3)No50

今日は7月13日です。
昨日の12日は一枚も写真を撮りませんでした。
疲れ果ててホテルでごろごろしてました。
今日は元気になったので那覇市内を散策です。

モノレールに乗ってあちこち廻ってみることにしました。
やはり足は首里城に向かっています。
首里駅の真っ赤な看板に竜が描かれていてとても綺麗でした。
看板はひらがな、漢字、ローマ字、中国語、韓国語で書かれてます。


首里駅からぶらぶらと歩きながら守礼門まで来ましたが、この守礼門の手前に那覇市立 城西小学校」があります。
守礼門のそばの学校って、とても興味があったので中に入りかったけど、入り口に部外者の通り抜け禁止の看板があり、入れません。
残念だけど最近、学校内でいろいろな事件があるので当然ですね。
右奥に守礼門が見えます。



守礼門はいつ見ても堂々としていますね。


階段を上って「瑞泉門」を通りさらに上って「漏刻門(ろうこくもん)」を入ると広い庭がありますがここに「日影台(にちえいだい)」という日時計が
あります。
以前はこの漏刻門の櫓の中に水時計が設置されていて時間を計っていた事からこの名で呼ばれているようです。
しかし、精度が悪いということで漏刻門の正面にこの日影台が1739年作られ、水時計の補助的な道具として使われたそうです。




ここから廣福門を通って「下之御庭(しちゃぬうなー)」という庭に出ます。
ここには首里城正殿のある「御庭」に入る「奉神門」があります。
奉神門の意味は「神をうやまう門」という意味だそうです。
建物は明治末期頃に撤去されましたが1992年に外観が復元されました。
今回はメンテナンスのためパイプで足場を組んでいましたが、奉神門と同じ色の朱色の鉄パイプで少しでも雰囲気を壊さない工夫がしてありました。


帰り道、守礼門の近くにある2000年に登録された世界遺産の「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」に行ってみると数名の方が
お参りしていました。
この園比屋武御嶽石門は琉球石灰岩で造られた建造物で、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所です。
形は門になっていますが人が通る門ではなく、神への「礼拝の門」とされており、八重山の竹富島出身の西塘(にしとう)という役人が築造したと
伝えられています。
本島から八重山地区まで琉球地区のみんなが力を合わせ協力していた時代なんでしょうね。
こんなよい風習のもとで今の沖縄のいろいろな問題をもっとみんなで協力し合あえればいいですね。


国際通りに戻ってきました。
このメイン通りから脇道に「竜宮通り」があります。
入り口の看板に社交街と書かれており、そばにあるマップを見ると
料理屋、居酒屋、スナック、パブ、カフェーなどのまさに社交街です。
1時過ぎのこの場所は国際通りと全く逆ですべてのお店が閉まっていました。
きっと夜には眩しいくらいの電気が輝いているんでしょうね。
今回は夜の町を見てないけど、次回はここの写真を撮りに行ってみよう。



国際通りに荒垣ちんすこうてんがあります。
与那国で食べたあのちんすこうアイスがまた食べたくなったのでお店で食べた。
ちんすこうの口当たりとアイスの甘さ、柔らかさが絶妙です。


国際通りから少し中に入ると小さな公園がありました。
ここにもアコウらしき木が何本もあります。
僕の気持ちの中ではこの木を見ると「沖縄!」って感じです。
アコウやガジュマルってすごい生命力を感じて好きです。


<<続く>>
  


Posted by 夏が好き at 11:48Comments(4)

2013年12月14日

沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

今日7月11日は朝ゆっくり起きて、南部を見学することにした。
前回行かなかった場所に行ってみようと思う。
はじめに高さ45mの沖縄平和記念堂に行きます。
この記念堂は世界に平和を訴えるために建てられました。
中には高さ12mで幅が8mの沖縄平和祈念像が安置されています。





このそばに平和記念公園があり、戦争という不幸な悲しい歴史のある場所でもあります。
旧日本軍とアメリカ軍の激しい地上戦が繰り広げられ、沖縄戦最大の激戦地となった糸満市で、多くの尊い命が犠牲になりました。
世界に向けて恒久的に平和を願う祈りの場所としてこの公園が作られました。
ここには鎮魂と祈りと平和をテーマに墓苑や慰霊塔をはじめ、沖縄戦資料を展示する資料館や祈念堂などが点在しています。

この公園の一番西側に車を止め、そこから海岸方面に向かい健児の塔に向かいます。
まずはこの階段を下って行くと風部隊之碑や独立臼砲第一連隊慰霊碑などいくつかの慰霊碑が並んでおり、犠牲になった方々の氏名も
刻まれています。




その奥に沖縄師範学校健児の塔があります。


ここから結構きつい階段を上って行くと、平和記念公園の一番西側(糸満市摩文仁が丘)の頂上に上がることができます。
階段を上る一番下のところに自然洞窟があります。
この洞窟で鉄血勤皇隊の方々が自決されたそうです。
どんなに辛くて苦しかったでしょうね。
そんなことを思うと、とても悲しくなってきました。





気を取り直してこのきつい階段を上ると見晴らしのよい展望台に着きます。
展望台から見た景色はこんな感じです。
風がけっこう強かったので白波が結構目立っていました。


この周辺からの景色はとても綺麗です。
哀しい出来事がなければもっと気持ちよく見れるのに残念です。




この公園の一番西側(糸満市摩文仁が丘)に黎明の塔があります。
この塔は第32軍司令官牛島満中将と長勇参謀長を祀ってあります。


この黎明の塔の手前に沖縄戦における第32軍司令部将兵及軍属約 600名の慰霊のために建立された勇魂の碑があります。
説明すると長くなるので省略しますが、いずれも哀しい出来事ですね。


ここから本島の最南端方面にある具志川城跡に行きます。
ここが入り口です。


城跡は荒れ果てていましたが修復もし始めたようです。
お金の問題もあるでしょうがもっと大切にできたらなと思います。





この場所は海岸のすぐそばに立てられていました。
ここからの海方向の景色はこんな感じです。
海岸側は雲が多くて海の色はいまいちでしたが景色としては綺麗です。





次は少し戻って喜屋武(きゃん)岬に来ました。
結構な高台になってます。
東シナ海と太平洋を分ける断崖絶壁の喜屋武岬です。
沖縄戦で追い詰められた住民や日本兵が身を投げた悲しい歴史が残る場所でもあり、岬の先端には平和の塔が建立されています。


風が強くて波も高かったけど、ここからも綺麗な景色を見ることができました。



南部地区はいろいろなところで悲惨なことが多くあった場所です。
南部の行くばしょ場所で胸が痛くなります。
平和ってどうすれば維持できるんでしょうね。
情けない。


<<続く>>  


Posted by 夏が好き at 21:33Comments(10)

2013年12月08日

沖縄の旅(再び那覇にその1)No48

昨日竹富島に泊まり、今日(7月10日)から石垣島を回ろうと思っていたら、石垣島に上陸しそうな台風が近づいてきたので一旦、那覇に
戻ることにした。

飛行機内から写真を撮っていて気がついたのは、PLフィルターをつけて窓からの写真を撮ると窓のアクリルと干渉して綺麗な虹色になった。


那覇に着いて、疲れてたので少しホテルでゆっくりして夕刻、首里城まで散歩に出かけた。
昼間と違って夜なので人は殆どいない、静かな首里城です。
こんな雰囲気もいいですね。





画面右上にいる青色に輝くUFOも綺麗な城壁を見ていましたよ。


長旅で疲れたので今日はゆっくり休んで明日また回りましょ。
お休みなさい。

<<続く>>

  


Posted by 夏が好き at 11:26Comments(8)

2013年12月07日

かき(番外編)

カメラが壊れて修理に出したので先日散歩してた時の写真です。
青空においしそうな赤い柿が枝もたわわに実っていました。
カラスや鳥がつついていないので、これはたぶん渋柿でしょう。
熟してくると甘くなるのでそれまで待ってるのでしょうね。


  


Posted by 夏が好き at 22:19Comments(0)

2013年12月06日

ショック(番外編)

ここのところ金星が明るく結構大きく見える。
今日はその上の方に三日月が並んでた。
綺麗な星と月です。



しかしショックなことが起きた。
カメラがコンクリートの上に1.5mから落ちてしまった。
本体とフラッシュ部分が割れてしまった。
一応写真は写せるが、フラッシュは開かない。
修理しないとまずいことになりそう。
修理代に10万円近くかかりそう。。。。
悲しくなってくる。  


Posted by 夏が好き at 23:32Comments(6)

2013年12月05日

沖縄の旅(竹富島その2)No47

これから集落をふらふら散策してみます。
竹富島には水牛乗り場が集落の仲に2カ所有ります。
先ほどの水牛車は新田観光でしたが、今度は竹富観光の水牛車とすれ違いました。


直ぐ側に竹富観光センターがあり、水牛がパラソルの下で一休みしています。
やはり直射日光は熱いんでしょうね。
言いたいことがいっぱいあるでしょうが、文句も言わず、とても働き者ですね。
かわいそうになってきます。


集落のほぼ中央に「東パイザーシ御嶽 (アイパイザーシオン)」があります。
この看板の説明ではこの島の御嶽の中心のようですね。

「東パイザーシ御嶽 (アイパイザーシオン)
集落の中にも周囲にも、神をまつる拝所や斎場があって、大切にされています。
なかでも御嶽はもっとも重要な聖地で、ここには島の人々の生活を守る神が住むと信じられています。
竹富島には御嶽が28か所ほどあり、ここを中心として行われる祭りは、島の人々の大切な生活の一部になっています。
御嶽にはそれぞれ意味があり、この東パイザーシ御嶽は島をつくり、島を育てる神がまつられているといわれます。」

こんな小さな島に28カ所も御嶽があるのは驚きました。
島、生活を大切にする気持ちの深さを感じます。


そばの民家の屋根には威嚇するような威勢の良いシーサーが居ました。


その直ぐ側に竹富島郵便局がありますが、この屋根にも力強いシーサーが居ます。
建物は以前、見た時より綺麗になったような感じでした。リフォームしたのかな。



竹富港まで行ってそこから海岸に沿って北方面に行ってみました。
最北の海岸側に美崎御嶽 (ミシャシオン) の鳥居があり、こう書かれています。

「美崎御嶽 (ミシャシオン)
美崎御嶽は航海安全・海上平安の神として崇められています。
島の人々が、旅に出たり、帰ってきた時に祈願をしたり、感謝をする御嶽です。
この先のミシャシ海岸は、かつては島の主要な港として、大正年間頃まで使用されていました。
今もガンギ(桟橋)跡が見られます。」


この海岸から正面に石垣島が見えます。


説明にもあった「ガンギ(桟橋)跡」が石垣島方面に向かって痕跡があります。
崩れていてはじめはよく分からなかったけど、よく見てたら沖に向かって桟橋があったような石の積み跡がわかります。


さらに進むと「安里屋クヤマの墓(あさとやックヤマのはか)」がありました。

「西表国立公園 
安里屋クヤマの墓

安里屋のクヤマは、十八世紀前半に竹富島の安里家に生まれたと伝えられています。
クヤマは絶世の美女と言われ、目差主(メザシシュ:役人)の賄女に望まれますが、きっぱりと断ったと言われています。
このクヤマの生き方を唄ったのが、沖縄の代表的な民謡として現在でも歌い継がれている「安里屋ユンタ」です。

「安里屋ユンタ」
一、安里屋(アサドーヤ)ぬ クヤマにヨー
  目差主ぬ くゆたらヨー
    ◎ハーリヌ ツィンダラ カヌシャマヨ
二、目差主や ばなんぱヨー
  あたる親(シュ)や くりゃおいすヨー
    ◎ハーリヌ ツィンダラ カヌシャマヨ
三、んぱてぃから みささみヨー
  べーるてぃから ゆくさみヨー
    ◎ハーリヌ ツィンダラ カヌシャマヨ
四、んぱてぃすぬ 見る目んヨー
  べーるてぃすぬ 聞く耳ヨー
    ◎ハーリヌ ツィンダラ カヌシャマヨ
  (以下、省略)」

難しくて歌の意味が全く分かりません。

この当時の絶世の美女はどんな雰囲気だったんでしょうね。
とても気になります。


この側の海岸はけっこう遠浅のようで、かなり潮が引いていました。
満潮時間は夜のようなので今回は見る事が出来ませんでした。


安里屋クヤマの生誕の地が集落のなごみの塔の近くにあるようなので行ってみました。


この周辺にも御嶽がありますので廻ってみます。
まずは西塘御嶽 (ニシトーオン)です。
説明ではこのように書かれていました。


「西塘御嶽(ニシトーオン)
竹富島の人々が敬愛する西糖は、一五〇〇年のオケヤアカハチ争乱のとき、八重山に派遣された琉球王府軍の大里大将(オオザトタイショウ)
に見いだされ、王府に仕えました。
その間に、園比屋武(ソノヒャン)御嶽の石門を築造しました。
また、首里城の城壁の修復や弁ケ嶽の石門の築造も行ったと言われており、当時王都首里において盛んだった石造り建築の優れた技術者でした。
それらの功績によって、西塘は一五二四年、竹富大首里大屋子(タケトミオオシュリオオヤコ)に任じられて錦衣帰郷し、竹富島のカイジに蔵元(役所)を
置いて八重山全域を統治しました。
この場所は、西糖のお屋敷でしたが、死後お墓が造られ、後に島の守り神として祀られました。
ここでは西塘大願い(ニシトウフーニガイ)のほか、神司(カンツカサ)や島の役職者が祭り毎に祈願に訪れます。
現在は沖縄県の文化財に指定されています。」


次は少し北側にある世持御嶽に向かいますが、暑いのでその手前にある「パーラーぱいぬ島」に寄って一休みしました。
パーラーと言っても都会と違って田舎らしい素朴なとても感じの良いお店です。


この暑いときに冷たいものを飲むか食べるかですが,氷りぜんざいが美味しそうだったので1杯食べて、物足りなかったので
もう1杯注文したらお店のおばさんが、「少なかったかい?」といって100円値引きしてくれました。
決して少なくはなかく、喉が渇いていただけだったのに誤解されてしまいました。
申し訳ないと思いながらも100円はしっかり頂きました。
食べるのに夢中で、注文した氷ぜんざいの写真を取り忘れた!


身体も冷え、喉も潤ったので世持御嶽(ユームチオン)に向かいました。

「世持御嶽 (ユームチオン)
ここは、琉球王府時代の村番所跡であり、竹富村誕生の1914年(大正3年)から1938年(昭和13年)まではここに村役場がありましたが、
その跡地に、火の神と農耕の神を祀ったのが世持御嶽です。
秋の戊子(ツチノエネ)の日を中心にした十日間の種子取祭は、国の重要無形民俗文化財に指定さています。
種子取祭は、五穀豊穣と島民の健康繁栄を祈願する島最大の祭りで、七日間と八日間は神事、奉納芸能、それに世乞い(ユークイ)の行事が
夜を徹して行われます。
殊に奉納芸能は70演目余りが幕間なくつづき、島全体が湧き立ちます。
この周囲は拝所が集中して聖域をなしているため、竹富島の昔からの森が残されています。
種子取祭はこの場所から、島全体へと祭りの場を広げていきます。」

ここでは竹富島最大の祭祀である種子取祭がこの場所で行われるんですね。



ここから直ぐ横に玻座間御嶽 (ウーリャオン) があります。
この玻座間御嶽はこのような話があります。

竹富島の始祖である6人の王のうちの1人、「根原金殿」を祀っています。
根原金殿は、屋久島から渡来したとされ、玻座間村の祖として祀られています。
粟の耕作に努めたので「粟の神」とされます。
一番勢力が強く、徳も高かったとされ、各村々で個々に行われていた種子取祭を一つに統合しました。[西集落]


いったん宿で食事を済ませて、夕日を見に西桟橋に出かけました。
でも雲が多くて今日の夕日や夕焼けは難しそうです。


徐々に人が桟橋に集まり始めました。
かなり多くの人です。


結局夕日はこんな感じで、夕焼けは全く駄目でした。
太陽光のある部分は真っ赤なので上空の雲の厚みが薄ければ綺麗な赤に染まったでしょうね。残念でした。


民宿に帰る途中にある「なごみの塔」に登って集落を見ました。
やはり明かりは少ないですね。


明日は石垣島に移動します。

<<続く>>

  


Posted by 夏が好き at 16:34Comments(2)

2013年12月03日

長野の星(番外編)

今日は新月で暗闇です。
そこで昨日(12月2日)長野県で星が綺麗だろうと思う場所に行ってきました。
ここはJRの鉄道で最高地点の野辺山高原です。
標高は1375mでかなり寒かったです。
時間的には午後5時少し前です。



このそばに、野辺山宇宙電波観測所があるのでこの駐車場で星を見ることにしました。
この天文台は電波望遠鏡がかなりの数あります。
ここの見学は午後5時までなので入場はできませんでした。


駐車場に車を止め暗くなるのを待ちながら、車のそばでコンロでお湯を沸かして、途中のコンビニで買ってきたカップ麺と
おにぎりを食べることにしました。
キャンプ気分ですが、何しろ外なので寒い。
お湯を沸かして食べたカップ麺がうまかった。
(写真なし)
そうこうしてるうちに少しずつ暗くなってきました。


午後6時にはすっかり暗くなったのでここでパチリ。
これは天の川なのかな。12月でも見れるんですね。


最後に30分間の星空です。北方向で写しました。
2本の線が見るのは残念ながら流れ星ではなく、飛行機の通過です。
  


Posted by 夏が好き at 21:24Comments(8)