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2013年11月04日

沖縄の旅(波照間島その1)No41

大原港の待合所なかまりんを11時10分に出港して波照間島に向かいました。
ここから35分程度で波照間島です。
沖縄の旅(波照間島その1)No41
沖縄の旅(波照間島その1)No41

今回宿泊する宿はこの西浜荘です。
季節柄どの民宿もいっぱいで、この西浜荘もほぼ満室状態でした。
でも何とかここのオーナーが都合をつけてくれて、宿泊することが出来ました。
素泊まりの宿ですが、面白いことに白ご飯は食べ放題です。
おかずさえ準備すればいつでもご飯が食べられます。
ご飯が無くなりそうなときはその人が次の人のために炊いて置いてあげるシステムになっていて、宿泊してる皆さんはとても喜んでいました。
この宿に2泊お願いしました。
レンタバイクもサイクルもあります。
沖縄の旅(波照間島その1)No41
沖縄の旅(波照間島その1)No41

早速バイクを借りて島内散策に出かけました。
まずは「コート盛」という琉球王朝時代に海上を監視していた火番所です。
高さは3.9mですが標高的には60mでこの島の最高地点です。
遭難船や外国船の接近など異常時にはのろしを上げて石垣島に知らせたようです。
石碑にはこのように書かれていました。

コート盛(火番盛)
旧藩時代の火番所.海上の監視や船の通報のため烽火を揚げた。
沖縄の旅(波照間島その1)No41
沖縄の旅(波照間島その1)No41

ここから波照間港に向かう有名な祖平花道の途中に碑が立っていました。
これは「学童慰霊碑」で、次のように書かれています。

【学童慰霊碑・碑文】
太平洋戦末期一九四五年四月八日 西表島字南風見へ強制疎開させられ全学童三二三名はマラリアの猖獗により全員罹患 中六六名を死に
至らしめた
    かつてあった山下軍曹(偽名)の行為はゆるしはしようが然し忘れはしない
本校創立九〇周年を記念し、はるか疎開地に刻まれた「忘勿石」を望む場所に その霊を慰め、あわせて恒久平和をねがい碑を建立する
    一九八四年七月一六日
   波照間小学校創立九〇周年記念事業期成会


調べてみたところ、第2次世界大戦末期の1945年春、波照間全島民は西表島南風見田に強制疎開させられました。
強制疎開させたのは、島の青年学校教師、実は陸軍中野学校の軍曹(諜報員)、「山下虎雄(本名酒井清:喜代輔)」で、彼は「米軍の上陸近し、
西表島に疎開せよ」と命令しました。
人々は西表のマラリアを怖れ疎開を拒みましたが、軍刀を抜いて「天皇陛下の命令を聞かぬ奴は、叩き斬る」と脅し、強制疎開させたのですが、
その本当の狙いは、島の牛・豚・山羊・馬を日本軍の食糧にするためだったのです。
しかし疎開した西表島南風見田はマラリア猖獗の地だったため、波照間島の人口1,671人の33%に当たる552人がマラリアに罹り死亡しました。
うち66人は波照間国民学校の学童でした。
1953年、西表島の南風見海岸「ヌギリヌパ」の岩に「識名信升」元校長が刻んだ「忘勿石 ハテルマ シキナ」の文字が発見されました。
ここはかつて波照間島の学童が疎開中において入学式が行われた場所でした。

識名校長は、「忘勿石」(わすれないし)に関して生涯殆ど口にすることはなかったそうですが1982年の調査の際、この場所で勉強した生徒から
死者が出たことに対する追悼と、強制疎開により死者が出たという事実を決して忘れてはならないという思いから、
「波照間住民よ、この石を忘れるなかれ」という意味を込め帰島前に刻んたものだと答えたそうです。

八重山諸島は激しい戦闘や銃撃戦はありませんでしたが日本軍による様々の行動が住民を苦しめ死に追いやったんですね。
本当に悲惨な出来事です。
戦争や争いは決してすべきではない。
未だにそのことが分からない連中があまりにも多すぎる。

対岸の西表島・南風見田の浜の「忘勿石の碑」は残念ながら見落としてしまいました。
沖縄の旅(波照間島その1)No41

いよいよ波照間島の綺麗なニシ浜にやってきました。
沖縄の旅(波照間島その1)No41
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沖縄の旅(波照間島その1)No41
沖縄の旅(波照間島その1)No41
沖縄の旅(波照間島その1)No41

ニシ浜から海岸沿いを少し南下するとペー浜があります。
ここも綺麗な砂浜ですが人が居なく、直ぐ側には岩場もあって穴場です。
沖縄の旅(波照間島その1)No41
沖縄の旅(波照間島その1)No41
沖縄の旅(波照間島その1)No41

さらに南に行くと岩場と小さな砂浜がある毛崎(もうさき)の海岸です。
途中で面白い植物を見つけました。
緑の葉っぱに赤い模様が付いて花みたいに見えます。
何という植物なんだろう。
沖縄の旅(波照間島その1)No41

この毛崎も綺麗な海岸で、この島の一番西側になります。
沖縄の旅(波照間島その1)No41
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沖縄の旅(波照間島その1)No41
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<<続く>>



Posted by 夏が好き at 21:12│Comments(9)
この記事へのコメント
こんばんは♪

離島を巡る夏が好きさんの美しい写真と
その美しさの背景にある悲しい歴史など
いつもとても勉強になる
ただ写真を撮っているだけではないんですよねぇ
私も見習わなくては・・・(´_`。)

あの赤い葉っぱ
名前は知らないけど私も見た事あるじょ♪
赤くなりかけのポインセチアに似ているねっ(ё▽ё)

あ(・▽・)もう寝なきゃ!!
おやすみ〜ん(´Q`)。oO
Posted by pix islander at 2013年11月05日 00:16
pixさん
だめだよー 遅くまで起きてると「早く寝ないと鬼が来るよ」ってことわざがあるでしょ。
でも逆に「寝る子は育つ」ともいうので、育ちすぎてもいけないし、難しいな。
そんなわけで、健康のためにほどほどにね。
しかし、鬼が来てもpixさんなら跳ね返してしまうかな??

日本の果てのこんな小さな島にまで住民を苦しめた時代が有ったんですね。
知れば知るほど悲しくなってきます。

ポインセチアか。調べてみるね。
ありがとう!
Posted by 夏が好き at 2013年11月05日 10:18
夏が好きさん

写真を見て、
沖縄も、以外に広いんだと、思いました。
そして、海のにおいも、思い出して。

いい気持ちで、一日が終われます。
よかった。

ではでは、また。
Posted by あして・びっちあして・びっち at 2013年11月06日 02:07
あして・びっちさん
僕も沖縄を知らないときは小さな島だとしか認識していませんでした。
でも入り込めば入り込むほど沖縄は大きくて、歴史も深い事が分かってきました。
自分ではまだまだほんの一部しか分かっていませんが、少しずつでも学んでいきたいと思ってます。
分かる度に驚きと悲しみを感じています。
Posted by 夏が好き at 2013年11月06日 15:17
pixさん
あれからもらったヒントを基に調べてみました。
あの植物はしょうじょうそう (猩々草)だと言うことが分かりました。
でもpixさんの言われるポインセチアとやはり兄弟みたいなもので、その違いは草と木みたいですね。

しょうじょうそう (猩々草)
トウダイグサ科トウダイグサ属の一年草で、学名は Euphorbia heterophylla。

ポインセチア (猩々木)
トウダイグサ科トウダイグサ属の常緑低木で、学名は Euphorbia pulcherrima。

pixさん、知らない知らないって言うけど本当は何でも知ってるんでしょ??
謎の人物だ~~
Posted by 夏が好き at 2013年11月06日 15:23
どこまでもどこまでも青い海
どこまでもどこまでも青い空

夏が好きさんがおっしゃるように、
沖縄の歴史は本当に深いと思います。

歴史を感じながら眺める沖縄の風景は、
また違うでしょうね。
Posted by うみうたうみうた at 2013年11月06日 19:47
うみうたさん
沖縄はどこも綺麗で、とても良い雰囲気が沢山あります。
でも分かってくれば来るほどその綺麗さと相反する暗い、恐ろしい、悲しい悲惨な出来事が多すぎます。
全て人間の権力闘争がこんな悲惨な事態を引き起こしています。
同じ人間として悲しいですね。
だからこそ今、沖縄を大事にしなければなりません。

ところで展示会、順調ですか。
近ければ行くのにとても残念です。
Posted by 夏が好き at 2013年11月06日 20:14
ほんとに悲惨な歴史です。
忘れないようにしなくてはいけませんよね。
忘勿石の西表島のことは、以前に書いたことあります。
http://hateruma11.ti-da.net/e3961206.html

波照間のほうは、見落としてました。
にし浜だけでなく、たくさんの浜。
全部いい。
Posted by おきなべおきなべ at 2013年11月07日 15:18
おきなべさん
おきなべさんは西表島の忘勿石を見られたんですね。
僕は残念ながら見落としてしまいました。
チャンス有れば見たいです。

とにかくこの島々には悲惨な悲しいことが沢山あります。
みんなこんな時代を経て今があるんですね。
今のこんな静かな状況からは想像も出来ません。
Posted by 夏が好き at 2013年11月07日 23:26
 
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