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2013年11月09日

沖縄の旅(波照間島その3)No43

日本最南端の碑のある場所から東方向に「星空観測タワー」があります。
ここは大型望遠鏡やプラネタリウムがあり、夜は星を見ながら説明してくれるツアーがあります。
沖縄の旅(波照間島その3)No43

ここから北上して島の東側に行くと波照間空港があります。
この空港は琉球エアーコミューターが運用していましたが2007年12月に石垣空港線が廃止されその後エアードルフィンが石垣空港へ
不定期便運航を開始しました。
しかし2008年11月に エアードルフィン石垣空港線が運休され、その後、事業停止となってしまいました。このため竹富町が2009年6月、
RACより引き継いだ第一航空に 石垣 - 波照間線の継承を要請しているようです。
運用されていない空港はとても寂しい感じです。
沖縄の旅(波照間島その3)No43

空港から波照間港方面に向かう途中(島の北側)にシムスケー(古井戸)の史跡があります。
この側に説明板があり、こう書かれています。

竹富町指定史跡  シムスケー(古井戸)
          昭和47年8月30日指定
 波照間島の北端に位置するこの一帯には、かつてシムス村とよばれる集落があり、このシムスケー(古井戸)もその当時から使われてきた
井戸です。
この井戸は水量豊富、水質良好で、昔の島民にとってかけがえのない貴重な水源でした。
大旱ばつになって島じゅうの井戸が枯れ果てても、この井戸だけはいつでも水を湛え、島の人々の生活を支え続けてきました。
「シムスケーのお世話になる」ということが、大旱ばつの代名詞になっていたほどです。
この井戸には、つぎのような由来が伝えられています。
昔、波照間島が7ケ月にも及ぶ大旱ばつにみまわれ、人々が水不足と飢餓にあえいでいたとき、シムス村のベフタチバー(ベフタチは名、バーは
お婆さんの意で、貝敷家の先祖)のアマラ牛(赤牛)が角や前足で石や土をかきわけ、水を掘り当てて飲んでいました。
それを見たベフタチバーは村人を呼び、みんなで井戸を掘って水不足から救われたのでした。
その後人々は、この牛を神の化身だと崇拝し、牛の死後は手厚く葬って、井戸の側に牛の肝に似た石を据えて拝所としたといわれています。
          竹富町教育委員会

島にとってとても大事な水で不思議な井戸なんですね。
沖縄の旅(波照間島その3)No43
沖縄の旅(波照間島その3)No43

このシムスケーと波照間港の中間に下田原城跡(ぶりぶち公園)があります。
城跡は荒れ果てていましたがこの周辺は下田原貝塚とか燐鉱山の跡もあるようで、この一帯は島の歴史上、とても重要な地域だったようです。
「ぶりぶち」というのは「城跡」という方言のようですね。
入り口にこんな道案内の看板がありました。
沖縄の旅(波照間島その3)No43

中に入って見ました。
登り状態になっていて、石段もあります。
沖縄の旅(波照間島その3)No43
沖縄の旅(波照間島その3)No43

頂上からの眺めは城跡だけあって海が見えて、やはり綺麗でした。
沖縄の旅(波照間島その3)No43

ここから道を下って海岸方面に行きます。
沖縄の旅(波照間島その3)No43
沖縄の旅(波照間島その3)No43

直ぐ近くに綺麗な岩場の海岸がありました。
所々に砂浜もあり、静かな場所です。
遠くに波照間港の防波堤が見えます。
沖縄の旅(波照間島その3)No43
沖縄の旅(波照間島その3)No43
沖縄の旅(波照間島その3)No43
沖縄の旅(波照間島その3)No43
沖縄の旅(波照間島その3)No43

5時を過ぎたので集落に戻って周囲を散策します。
集落のほぼ中心に近いところに「オヤケアカハチ誕生の地」の碑がありました。
石碑には

アカハチ誕生の地
八重山の英傑オヤケアカハチの生まれた屋敷跡。

と書いてあります。
ここは、アカハチ屋敷と呼ばれる屋敷跡で、15世紀に琉球王府の重税に反対し、農民の代表として反乱を起こしたオヤケアカハチが生まれた
屋敷跡です。

オヤケアカハチにはこのような話がありました。

アカハチは15~16世紀における八重山の有力者の一人で、後に石垣島に渡って各地の豪族を従えて大浜村を治める勢力を持ちます。
アカハチは体が大きく力持ちで、髪は赤茶色だったので「クマンバチ」のような風格から、「赤蜂」と呼ばれるようになったと言われています。
1500年に王府側と対戦(オヤケアカハチの乱)し敗れ去りましたが、歴史上は逆賊として王府側の記録に残っているものの、実際は、王府の
支配下で苦しめられていた住民を助ける救世主として、八重山では英雄視されています。
このため、今でも八重山が生んだ英雄として関係する碑が各地に残されています。

深い歴史がありますね。
沖縄の旅(波照間島その3)No43

この直ぐ側に長田御嶽の碑があります。
石に書かれているのは

長田御嶽
八重山の英雄長田大主の生誕の地でありまた母子訣別の地である。

15世紀後半、オヤケアカハチらと共に一大勢力を築いた石垣島の酋長「長田大主(うふぬし)」の生誕の地で、それを祀った御嶽です。

長田大主についてもう少し話すと、
長田大主は当時オヤケアカハチと覇を競い合っていて、琉球大府に従属的だった長田大主は、仲宗根豊見親と結束して八重山を統一しよう
とします。
そこにオヤケアカハチは「アカハチの乱」を起こしました。
仲宗根豊見親はアカハチに苦戦したものの、久米島の君南風の援軍などによりアカハチ軍を鎮圧し、鎮圧した仲宗根豊見親は、琉球王府により
先島(宮古、八重山)の統治権を許されたのです。

小さな碑ひとつにそれぞれ深い意味があるんですね。
沖縄の旅(波照間島その3)No43

時間も午後7時を過ぎました。
ニシ浜に行って夕日を見ようと思いましたが雲が多くて残念ながらこんな夕日しか見れませんでした。
明日もここに泊まるので明日見れたらいいな~
沖縄の旅(波照間島その3)No43

<<続く>>



Posted by 夏が好き at 23:07│Comments(2)
この記事へのコメント
夏が好きさん こんばんは

波照間島ですね ぶりぶち公園

夏休みに 魚とりに行きました

今は土地改良で沢山の緑がなくなった波照間島

ちょっと寂しいです
Posted by namimanamima at 2013年11月10日 19:37
namimaさん
こんばんは。
ぶりぶち公園側の海岸で魚とりですか。
綺麗な海でとても良い場所ですね。
昔の波照間は今よりもっともっと緑が多かったんですね。
いろんな意味合いで土地の改良が行われ、昔の環境が変わっていってしまうのはあちこちで有りますが、昔を知っている人から見ると悲しいですね。
自然は極力大切にしたいです。
Posted by 夏が好き at 2013年11月11日 23:24
 
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