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2013年12月14日

沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

今日7月11日は朝ゆっくり起きて、南部を見学することにした。
前回行かなかった場所に行ってみようと思う。
はじめに高さ45mの沖縄平和記念堂に行きます。
この記念堂は世界に平和を訴えるために建てられました。
中には高さ12mで幅が8mの沖縄平和祈念像が安置されています。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

このそばに平和記念公園があり、戦争という不幸な悲しい歴史のある場所でもあります。
旧日本軍とアメリカ軍の激しい地上戦が繰り広げられ、沖縄戦最大の激戦地となった糸満市で、多くの尊い命が犠牲になりました。
世界に向けて恒久的に平和を願う祈りの場所としてこの公園が作られました。
ここには鎮魂と祈りと平和をテーマに墓苑や慰霊塔をはじめ、沖縄戦資料を展示する資料館や祈念堂などが点在しています。

この公園の一番西側に車を止め、そこから海岸方面に向かい健児の塔に向かいます。
まずはこの階段を下って行くと風部隊之碑や独立臼砲第一連隊慰霊碑などいくつかの慰霊碑が並んでおり、犠牲になった方々の氏名も
刻まれています。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

その奥に沖縄師範学校健児の塔があります。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

ここから結構きつい階段を上って行くと、平和記念公園の一番西側(糸満市摩文仁が丘)の頂上に上がることができます。
階段を上る一番下のところに自然洞窟があります。
この洞窟で鉄血勤皇隊の方々が自決されたそうです。
どんなに辛くて苦しかったでしょうね。
そんなことを思うと、とても悲しくなってきました。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

気を取り直してこのきつい階段を上ると見晴らしのよい展望台に着きます。
展望台から見た景色はこんな感じです。
風がけっこう強かったので白波が結構目立っていました。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

この周辺からの景色はとても綺麗です。
哀しい出来事がなければもっと気持ちよく見れるのに残念です。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

この公園の一番西側(糸満市摩文仁が丘)に黎明の塔があります。
この塔は第32軍司令官牛島満中将と長勇参謀長を祀ってあります。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

この黎明の塔の手前に沖縄戦における第32軍司令部将兵及軍属約 600名の慰霊のために建立された勇魂の碑があります。
説明すると長くなるので省略しますが、いずれも哀しい出来事ですね。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

ここから本島の最南端方面にある具志川城跡に行きます。
ここが入り口です。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

城跡は荒れ果てていましたが修復もし始めたようです。
お金の問題もあるでしょうがもっと大切にできたらなと思います。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

この場所は海岸のすぐそばに立てられていました。
ここからの海方向の景色はこんな感じです。
海岸側は雲が多くて海の色はいまいちでしたが景色としては綺麗です。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

次は少し戻って喜屋武(きゃん)岬に来ました。
結構な高台になってます。
東シナ海と太平洋を分ける断崖絶壁の喜屋武岬です。
沖縄戦で追い詰められた住民や日本兵が身を投げた悲しい歴史が残る場所でもあり、岬の先端には平和の塔が建立されています。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

風が強くて波も高かったけど、ここからも綺麗な景色を見ることができました。
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49
沖縄の旅(再び那覇にその2)No49

南部地区はいろいろなところで悲惨なことが多くあった場所です。
南部の行くばしょ場所で胸が痛くなります。
平和ってどうすれば維持できるんでしょうね。
情けない。


<<続く>>



Posted by 夏が好き at 21:33│Comments(10)
この記事へのコメント
こんばんは

私が数週間前に行った所だ
夏が好きさんは暑い夏に行ったんですね
海が夏の色してる

南部・・・とても美しい場所なのに
過去におそろしく悲しい出来事が多過ぎたからでしょうか
私は気持ちが元気でないと行けないのがまた悲しい(+_+;)
Posted by pix islander at 2013年12月14日 23:37
pix islanderさん
沖縄の南部の先端まで追い詰められて、住民も多くの人々が苦しい、悲しい思いをしながら死んでいったことを想像すると身体が震えてきます。

なのに、未だに争いをする、あるいは、しようとする国々や人達がいます。
あの悲劇をなぜ教訓としないんでしょう。
人間の欲望なんでしょうか。
悲しいですよね。

今度、元気なときに南部の奥武島に行って、てんぷら食べましょ、美味しいよ~
ご馳走してあげる!
Posted by 夏が好き at 2013年12月15日 00:10
夏が好きさん

沖縄戦のことが頭にあるからなのか、
南部で、重たい静けさを感じます。

沖縄本島各地で、戦闘があり、犠牲になられた方もいるのに、
それでも、南部は、違う空気を感じます。

具志川城址、
知らなかったです。
写真の状態でも趣があっていい感じだと思うのですが、
修復が行われているんですね。
いつか、行ってみます。
Posted by あして・びっちあして・びっち at 2013年12月15日 01:56
沖縄平和祈念館は、中に入ったことはありません。外から見てるだけ。
今でいう高校生くらいの年齢の方達が、多数亡くなられた。自爆したり、集団死があったり、砲弾にやられたり、とても悲しい出来事です。生き残った方達が、今は重い口をやっと開けて、毎日のように証言されています。それでも伝えたいその思いはどんなものか。大切に耳を傾けなければいけないのと同時に、戦争を知らない僕たちも声を上げていかないといけないと思っています。
具志川城跡は、ずいぶん長い間、修復が続いていますね。どんなぐすくだったんだろう。興味が尽きません。
南部の摩文仁あたりの海。
みんなと同じように、海見ても、綺麗だなと思う前に重い気持ちになります。
Posted by おきなべおきなべ at 2013年12月15日 09:07
こんにちは
資料館へは行かれなかったですか。ぜひ見てほしい場所です。
それにしても、「具志川城跡」はよくわかりましたね。
ここは地元の人でも知られていません。
5~6年前に小学校6年の孫と史跡巡りをした時は、入口の案内板が
あっただけでした。城跡には見えなかった。
昔貿易港で栄えた場所だったようです。
修復も大分進んでいます。だんだん城跡らしくなっているようです。
今度、また行ってみます。
「健児の塔」の西海岸は大度と言って「ジョン万次郎」がアメリカから
帰国、日本の地に始めて上陸した場所です。
ここから日本の開国が始まった。
Posted by おきなわのオジイおきなわのオジイ at 2013年12月15日 13:04
あして・びっちさん
南部は調べれば調べるほどいろいろな悲しすぎる出来事が多すぎます。
人としての心、精神、魂すべてが苦痛と恐怖と悲しみそして絶望の境地に陥る。
こんな事は2度とあってはいけません。

具志川城跡は海岸のすぐそばにあります。
沖縄のお城では最南端になるでしょうね。
それほど遠くないと思いますので是非行ってみてください。
Posted by 夏が好き at 2013年12月15日 23:38
おきなべさん
綺麗な海だけどあの絶壁を見ると鳥肌が立ちます。
みな、悲しみを通り越して絶望の中で亡くなっていったんでしょうね。
残酷を作り出す戦争は決してすべきではない。
Posted by 夏が好き at 2013年12月15日 23:38
おきなわのオジイさん
時間の関係で今回は残念ながら資料館には行けませんでした。
具志川城は本当に海岸すぐそばですね。
南風がもろに当たってきます。
お城があった姿はどんな感じだったんでしょうね。
海から見る姿はきっと素晴らしかったのではと思います。

ジョン万次郎って知りませんでした。
江戸時代末期(幕末)から明治にかけて活躍された方で、本名は中濱 萬次郎って言うんですね。
良い勉強になりました。
Posted by 夏が好き at 2013年12月15日 23:39
夏が好きさん こんばんは

お恥ずかしいです 僕の知らない事が

たくさん写真に写っています

沖縄をもっと勉強しないといけないウチナンチュ

摩文仁の海は美しい海だけど

何となく素直に喜べない美しさ
Posted by namimanamima at 2013年12月17日 21:16
namimaさん
元々近くなのでいつでも行けるので行ってないところが沢山あるのでしょうね。
僕も全く同じで、仕事をしてるときは近くの場所でも全く行ったことがない、知らないことが沢山ありました。
定年後少しずつ近所の散歩やちょっと電車に乗って行って・・・・・ということが少しずつ増えてきました。

namimaさんも時がくれば沖縄のいろいろなところをゆっくり見れると思います。

摩文仁の丘から見る景色は綺麗だけど気持ちがとても複雑です。
Posted by 夏が好き at 2013年12月17日 23:30
 
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