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2013年10月28日

沖縄の旅(西表島その2)No39

集落から10分程度歩いてくるとイダ(西田)の浜に着きました。
波がまったく無く、とても静かです。
沖縄に来てこんな静かな海は初めてです。
綺麗でしばらく座り込んでいました。
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
もう少し居たかったけど帰りの乗船時間が近づいたので船浮港に戻り船に乗りました。
今度また来たい場所です。今度はここで宿泊したい。

海の色が何とも言えない綺麗な緑色をしてます。
沖縄の旅(西表島その2)No39
港に戻る前に携帯に電話がかかってきました。
実はレンタカーの都合が付いたという連絡です。
白浜港に戻るとレンタカーで迎えに来てくれていました。
いろいろお話を聞いてみると結構無理して準備してくれたようです。
とても感謝です。
早速、宿に荷物を取りに行き上原港から大原港方面に向けて出発しました。
途中の景色や面白いものが沢山ありましたので紹介しますね。
まずは東京では決してみられない面白い看板を見つけました。
さすがイリオモテヤマネコの島なんですね。
ネコに関する注意看板です。
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
さらに道路にも「ネコ注意」の案内がありました。
ここでしか見られない珍しい注意案内ですね。
車を止めてしっかり撮しました。
沖縄の旅(西表島その2)No39
途中の綺麗な景色です。
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
空の雲も良い感じです。
沖縄の旅(西表島その2)No39
しばらく進むと有名な由布島に行く水牛車があります。
以前来たときはこの水牛車に乗らなかったので今回は乗って由布島まで行ってみることにしました。
由布島入り口で、牛のモニュメントがあります。愛嬌のある可愛い雰囲気でした。
沖縄の旅(西表島その2)No39
水牛車の中では女性の案内の方が三線を引きながら唄を歌ってくれました。
のんびりと歩く水牛と三線の音色がとても良い感じです。
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
しかし、下が砂地でこんなに多くの人を乗せて毎日往復するのは辛いだろうなと、なんだか可愛そうになりました。
乗っていて申し訳ない気持ちだった。
沖縄の旅(西表島その2)No39
この由布島の水牛は台湾から連れてこられた雄「大五郎」と雌「花子」のひとつがいの水牛が原点で、繁殖し現代まで続いているとのことです。
その由布島水牛家系図がありました。
沖縄の旅(西表島その2)No39
この由布島は植物園になっていますがその中に、大五郎・花子を始祖とする水牛一家に感謝する水牛之碑が建っていました。

水牛の碑

由布島を繁栄せし
大五郎 花子を
始祖とする
水牛一家に対し
感謝の碑を建立す
二〇〇一年十月

と書かれています。
沖縄の旅(西表島その2)No39
由布島は小さな島ですが行かれたことがない方もいらっしゃると思うので内部の様子を簡単にお見せしますね。
まず由布島は周囲2.15Kmで面積12ヘクタール、標高はなんと1.5mです。
戸籍数と人口ですが年度別に
昭和19年末 戸数0  、人口0
昭和25年末 戸数36 、人口180
昭和55年末 戸数4  、人口9
平成23年末 戸数8  、人口11
だそうです。
内部の各部分の写真です。
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
とっくりヤシに花が咲いていました。
沖縄の旅(西表島その2)No39
島の中央近辺に由布島小中学校の跡地の看板がありました。
由布島小中学校の跡地
昭和23年島分教場が開校。当時の校舎は
島住民による木造かや葺きのものでした。
幾度も台風による被害に会い建て直されました。
昭和26年モルタル瓦葺きの校舎完成。
昭和34年中学校の校舎完成
昭和44年台風エルシーによる高潮で
島全体が水没、島ぐるみの移転を決める。
昭和45年島民の移転にともない閉校。
現在では当時の校門と校舎の写真
だけが残されています。
沖縄の旅(西表島その2)No39
島の反対側の海岸です。
側にマンタとジンベイザメがいました。
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39
沖縄の旅(西表島その2)No39

<<続く>>



Posted by 夏が好き at 16:22│Comments(6)
この記事へのコメント
いい写真ですね。
このうち貴兄の写真を題材に絵を描きたいと
思っていますが、よろしいでしょうか。
ご了解下さい。
Posted by おきなわのオジイおきなわのオジイ at 2013年10月28日 20:20
おきなわのオジイさん
こんばんは。
良い題材がありましたら是非お使いください。
絵のとても上手なおきなわのオジイさんに使って頂けるとは、嬉しいです。
有り難うございます。
Posted by 夏が好き at 2013年10月28日 20:46
夏が好きさん
こんばんわ

ココアです(人゚∀゚*)

すみません
体調も生活も苦しくて(笑)
ご無沙汰してしまいました

でも、いつもながら何とか
がんばってたくましく生きていますd( •̀∀•́ )b

夏が好きさんの、優しくあたたかい
コメントやお言葉に
心から感謝しています

娘っちも夏が好きさんが大好きです

私たちを大切に思い、あたたかくしてくださる事を
感謝してまた、お愛できる事を楽しみにしています

(´∀`,,人)♥*.写真が全部素敵です
写真集出したら、買いますょ

ネコ注意だなんてー
娘っちを連れて行きたいです(笑)

贈り物は私達の宝物です
本当にありがとうございました。:*♥(´,,•ω•,,)ノ
Posted by ココアママココアママ at 2013年10月28日 21:13
ココアママさん
元気そうで安心です。
しばらく変更やコメントが無かったので寝込んでいるのかなと心配でした。
近くなら顔出して確認も出来ますが何しろ数千Km離れてるので難しいです。
でも周りの皆さんが付いているので大丈夫ですよね。
無理しないといけない時もあるかと思いますが、体調には十分気をつけてください。

ネコ注意の看板はここでないと見れないですよね。
この周辺はとても静かなところでみうちゃんも落ち着けるところかもしれませんね。
寒くなって来たようですので、これから風邪に気をつけてください。
Posted by 夏が好き at 2013年10月28日 21:35
夏が好きさん、お帰りなさいませ。
由布島には、父方の親戚の者が住んでいました。その内に石垣に引っ越して来ましたが、息子の内のひとりの家族はその後も住んでいました。(最近の情報はわかりません。)娘の内のひとりは、高校を出るのに石垣島の我が家で間借していたのです。

それから、我が「ぱちり・ぽつり」記事の中の桃太郎、あるいは「黒島椰子太郎」のシマムヌイ(黒島方言)を話した方も由布に住んでいた方です。その長男が由布の津波(?)の様子等を書いた小説で文学賞をもらっています。

先日の我が黒島まつりには、来賓の方で由布島小中学校に勤めていらしたという元教師も出席されていましたよ。
Posted by あんあんあんあん at 2013年10月29日 12:55
あんあんさん
由布島は今は観光地となっていますが、昔は一つの集落だったんですね。
訪問するまで知りませんでした。
あんあんさんは黒島だけでなくいろいろなところにご親戚の方々がいらっしゃるのですね。
あんあんさんをみてると地元の方々からその関係者の方々まで繋がりが多く、大変活躍されていらっしゃると思いました。
何かと大変なことも多いかと思いますが健康に注意して頑張ってください。
Posted by 夏が好き at 2013年10月29日 20:18
 
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